● 蜂場近く小さな湖
多くの植物は人間を必要としないでも生き続けられますが、人間は植物なしでは生き続けることは困難です。 草花から庭木まで、人は身近な場所に植物があると落ち着きます。 園芸の広がりもこういうことからの延長かもしれません。
その関連で、みつばちの飼育を始める人もあるでしょうし、花がたくさん咲いているのを見て、みつばちの飼育を思い立った人があるかも知れません。 きっかけは人それぞれです。 自然との関わり方の一つとしても不思議なことでないでしょうし、人生を心豊かに生きることと関連しているかもしれません。
● コスモスとみつばち
園芸の広がりと共に、その関係からも養蜂に関心を持つ方が増えていますが、みつばちを「趣味の養蜂」として飼育する場合でもルールがあります。
日本では、法的には養蜂振興法に基づき、飼育計画や県外への移動も市町村などを経由し、知事あての飼育届、転飼許可が必要です。 これは、みつばちの法定伝染病に対する所轄家畜保険所の検査、みつ源の分布状態などに関して、飼育場の調整が必要だからでもあります。
道義的にもいくつかのルールがあります。
処構わず飼育すると、いくら温厚なみつばちでも刺すことがあるため、一般社会での安全上の問題があります。
場合によっては、人間を死に至らしめる場合も皆無とはいえません。
ただし、花粉や蜜を集めに飛んできているみつばちが、人を集団で襲うことはありません。
(殺人蜂の映画はありましたが、現在の日本国内ではありえません)
みつばちを飼育するうえで必ず必要なことは、適度な量の花が咲いていることです。 しかし、「まかぬ種生えぬ」のことわざがあるように、日本では農業の形態も昔と変貌し、一面に咲いているレンゲ畑などは、必ず誰かが種子をまき、それぞれの目的を持って作業がなされています。
よって、花が咲いているのを見て蜜を採ろうとみつばちを飼育することは、間接的には準窃盗行為ともなり得るわけです。 従って、みつばちを飼育する場合には、すでに飼育している養蜂業者、あるいは彼らの組合組織に尋ねることも忘れてはなりません。
● ナノハナ
また、自然環境の変化から、みつばちが十分に蜜を集めるための条件は随分と悪くなっています。 このような現状を知識として知ると共に、個人レベルや団体レベルで、植樹、造林、花園造りにと努めねばなりません。 筆者の所有地には桜、アカシア、レンゲ、ナノハナなど、常に心がけていますが個人レベルではなかなか大変なことです。
みつばちの飼育の目的は人それぞれです。 例えば、飼育することによる情緒的な満足感の達成、果物の花粉媒介用、生産物の自家採取、子供の教育の一つなど、いろいろあると思います。 しかし、みつばちも「生き物」だということを忘れてはいけません。 飼育することが途中で嫌になり、適当に放置したり、捨てたりすることがないよう注意することが必要です。
みつばちの飼育は、その飼育上の環境をよく理解したうえで始めます。 飼育場所には、自宅の庭(写真参照)や屋上などがよく使われます。 ここでもやはり、飼育環境を配慮したうえで飼育場所を決めることが大切です。
● 庭に置かれた巣箱
みつばちには、東洋種の日本みつばちと西洋みつばちがいますが、一般的にはそれぞれの特徴や習性から西洋みつばちが飼育されます。 また、飼育用のみつばちは、種蜂を購入するか分封群を捕獲(日本蜂)することによって手に入れることができます。 かつて養蜂技術は、養蜂業者の弟子になったり、手伝いに行ってその技術を身に付けていました。 最近では、書物により知識を得て、直接飼育を始める人もあります。
写真提供: M.Senzai
養蜂を「業」として行うには、さまざまな問題を乗り越えなければなりません。 筆者もこの点ではなかなか難しく、上手に対処できないでいるくらいです。 養蜂業には、「専業」と「副業」の二とおりの方法があります。
● 巣箱
養蜂を「専業」とする | 養蜂を「副業」とする |
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日本列島が縦長で花が順次咲いていくので、その花を追って北上していく方法。 一般には他人の土地を一時借用して蜂場としますが、ここでは採蜜を利権としてきた慣習があるため、トラブルを起こさないような対策が必要です。 採蜜、ローヤルゼリーの採取、蜂群の育成など、養蜂でもいろいろな目的があります。 | 本業を持ち、サラリーマンをしながらの飼育。退職後の副業。 最近では、自営業で趣味としてみつばちを飼育する人が、筆者の蜂場へ現われた例があります。 また、みつばちの生産品を販売するうえで関連商品も扱ったり、中には養蜂の研究を書物にして、知識を販売することを加えている人もあります。 |
これからの経営には、いつの時代もそうであったように、社会のニーズに合った、公共性の高い、高品質な経営が望まれます。
みつばちの飼育を通じて、趣味から養蜂経営までを考えるとき、日本人の場合、こういうことに「道」という言葉をつけてきたことを思い出します。 そこで、「養蜂道」、「養蜂経営道」というようになるのでしょう。 そして「道」を極めると「達人」となります。 「達人」には、「人生の達人」、「剣の達人」といわれる人がいるように、実際には存在してもそんなに多くはありません。 「極意とは睫(まつげ)の如きものにけり」との先人の言葉があります。
● 蜂場近くの林
1999年7月4日
【みつばち牧場オーナー】
河合養蜂園 河合 進
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